顧問メッセージ

最上川と美術館 『美しい山形・美しい最上川』


60年来、現場で最上川を描き続けた画家と晩年の18年暮らし、共に最上川を見続けてきました。
真下は新しい橋ができると、いち早く出かけて行き描いていました。
川の上の景観は橋の上からでなければ眺めることができないことでしょう。
最上川に掛けられている、ほとんどの橋の上から描いたと思います。

当時はまだ、河畔に茅葺の家はある程度、残っていましたが今は見つけるのが困難です。
真下の60年間の絵画をみると道路は新しくなり、堤防ができ、護岸が変わり民家が変わりました。
人物はあまり描かれていまませんが「杉林には人の息吹がある」といっています。
点景の赤い屋根と共に、最上川に集う人々の営みを描いたのかなと思います。

― 最上川は年々日々変わる。新しい道路が出来、新しい橋が架けられる。次々と新しい最上川風景が展開する。 探れども尽きない。描けども描けども描き尽くせない。だが私は描き続けよう「母なる最上川」を ―
真下慶治の最上川にたいする思いです。
財産となるよう美しい風景を残したいと思います。
最上川の全流域を描きましたが、三難所の中程に位置するゆったり流れる大淀を描いて半世紀、アトリエを建ててから38年になります。

平成15年、村山市市制50周年を記念して、大淀の高台(大淀尋常小学校跡地)に真下慶治記念美術館ができました。
当美術館を設計していただいた村山出身の設計者・高宮先生をご案内致しましたのは一月末のときでした。
先生は、その時の事を「厳冬の雪深い丘に初めて立った時、風景の寂然した迫力に圧倒された。その時から画家が愛したこのかけがえのない風景を、訪れた人が共有できる場つくることにつきると思った。地元産の楯山石を敷きつめ、階段状に最上川に向かって45度開くテラスは、座して作品鑑賞の余韻に浸る場所であり、観桜会や茶会、生徒の写生会や野外音楽会の場所である」(新建築3)と書かれておられます。

桜の木は一本も切らずに残されました。
80年前、植樹した方々から当時の様子を伺いました。
子供達の元気な声が聞こえて来る場所なのです。
常設展示室は自然光が入り、まさに現場で描き続けた真下の絵を鑑賞していただくことができる最高の場所です。
子供達と共に写生大会や工作、ミュージアムウェデング、コンサート、ギャラリートークほか村山市の文化の発信地となりますよう日々勉強です。
地域の人たちと一緒になり、楽しい和を大きく大きく広げて行きたいと思っています。
まさに、ここから眺められる最上川の自然の風景はかけがえのない財産として守って次の世代に残していかなければと思います。
自然は破壊するのはいっときですが、元に自然に戻すのは大変な時間を要します。
温暖化も相待って時代は変わって行きますが大切なものはなにか・・・
『美しい山形・美しい最上川』がいつまでも続くことをひたすら願います。

真下慶治記念美術館
顧問 真下清美
2020年4月

真下清美プロフィール (旧姓 庄司)

西暦 事 項
1944年 山形市に生れる。
1978年 真下慶治と結婚する。
1993年 真下慶治逝去。
1994年 松山町主催 松山資料館 「真下慶治遺作展」開催。
1995年 戸沢村村立40周年記念 戸沢村役場 「最上油絵展」開催。
1996年 ・「NHK開局60周年記念展」主催。
・「日本画 小松均・洋画 真下慶治『母なる最上川展』」を山形美術館、本間美術館、天童美術館で開催。
・大石田民俗資料館、松ヶ岡ギャラリー松 同時開催。
・第14回「NHK東北ふるさと賞」 受賞。
1997年 サハト紅花開館3周年記念「真下慶治が描く海外スケッチ展」開催。
1998年 松山資料館新館(現在、酒田市松山文化伝承館)に「真下慶治記念室」設立
1999年 村山市制施行45周年 クアハウス碁点「真下慶治 最上川大淀描く展」開催。
2000年 NHK文化センター 草木染教室 講師に就任。
2004年 ・村山市市制施行50周年記念事業「真下慶治記念美術館」設立。(開館のご案内
・真下慶治作品―最上川、海外、静物等200点を寄贈。
・真下慶治記念美術館館長就任。
村山市功労賞 受賞
・NHK東北 番組審議委員 2期在籍。
・松山文化伝承館作品を酒田市に寄贈。
2009年 酒田市民賞 受賞
2010年 現在、山形市在住。
大淀アトリエ現存、酒田(旧松山)アトリエ現存、NHK文化センター草木染講師
2020年 最上川美術館館長に西塚裕樹氏を迎え、顧問に就任。